私が昨年、ランニングを始めたきっかけでもあるNAHAマラソン。昨年は33キロでタイムアップとなり完走できず、非常に悔しい思いをしましたが、今年リベンジを果たすことができました!!
そこで、今回出場したNAHAマラソンと、リベンジに燃えた1年間を少し振り返ってみたいと思います。
そもそもNAHAマラソンとは?
NAHAマラソンは、国内最大規模の市民マラソン大会。毎年12月第一日曜に開催されていて、今年で35回目となります。
2019年の出走者は22,770人で、完走率は64.18%。国内のマラソン大会の完走率は90%を越えるものがほとんどなので、かなり低いです。コースのアップダウンが激しいことや、気温の高さなどが大きな要因なのではないかと思います。
そしてNAHAマラソンの大きな特徴と言えば、とにかく沿道の応援の賑やかさ、おもしろさ、温かさ!こんなマラソン大会は、日本中どこを探してもなかなかないのではないでしょうか。たくさんのランナーが日本中から集まる所以だと思います。
2018年大会で涙のタイムアップ
ランニングなんてほとんどしたことがなかった私が、軽いノリでNAHAマラソンにエントリーをして、練習をはじめたのが2018年9月。この頃は3キロ走るのもやっとという感じでした。
それから週3回くらいの頻度でまじめに練習しましたが、練習を重ねるほどに、42.195キロがいかに長いのかを思い知ることになりました。
それでも、せっかく出るなら絶対に完走したい!と練習を続け、走れる距離も徐々に伸びていきました。この頃は、しんどいながらも練習の度に自分の限界を超えていくようで楽しかったです。
そして11月くらいには、なんとか練習で30キロを走りきり、完走も夢じゃないのでは?!と思えるくらいになりました。
そして迎えたNAHAマラソン本番。不安ながらも意気揚々とスタートし、沿道の声援も楽しみながら走りました。
しかし予想以上にアップダウンが激しかったことと、気温の高さ(この日の最高気温は27℃)に体力を大幅に奪われ、20キロ地点くらいからはスピードダウン。痛くて苦しくて地獄のようでした。大阪で練習していたときは、秋、冬のかなり走りやすい気温だったので、暑い中で走ることに慣れていなかったのも、苦しくなった理由の1つだと思います。
そして33キロ地点で、交通規制の車に追い越されタイムアップ。悔しかったーーー。本当に悔しくて、必ずリベンジしたいと思いました。
リベンジに燃えた1年間
マラソンを走る前は、1度走ればうんざりして辞めるかも、とも思っていましたが、完走できなかったせいで、走り切るまでは辞められないという気持ちの方が強くなりました。
まず2月に、神戸バレンタインラブランというハーフマラソンの大会に出場し、完走する喜びを初めて知りました。
そして3月に淀川寛平マラソンというフルマラソンの大会に出場し、4時間52分で走りきりました。フルマラソンへのリベンジという意味ではこれで果たしたことになりますが、やはり那覇を制さなければ完全なリベンジとは言えません。あの暑さ、坂道に勝たなければ、ということで、さらに練習を続けました。
今年は昨年できなかった夏の練習もたっぷり行い、那覇の暑さをイメージして走りました。ここでかなり体力が付いたと思います。
リベンジで挑んだNAHAマラソン2019
そしてNAHAマラソン2019。昨年苦しかった坂道も今年は楽に感じ、自分の成長がかなり実感できました。そして、昨年タイムアップとなった33キロ地点も通過。この瞬間はかなり感慨深かったです。ただこの辺りから、やはり息が苦しくなり足の痛みがかなり増してきました。あとは自分との戦い。とにかく何がなんでも走りきりたいと、自分に喝を入れ続けました。しんどすぎて、もうほとんど記憶がありませんが、やはり沿道の声援に励まされたことだけは印象に残っています。
そしてなんとかゴール。この達成感は半端じゃなかったです。ほんとに嬉しかった!練習が無駄じゃなかったなと心から思えました。
さていろいろ長々と書きましたが、これまでの練習や大会への参加は決して1人でやってきたわけではありません。ありきたりな表現ですが、一緒に走ってくれる仲間がいたおかげで頑張ることができました。
走り始めた頃も、みんなと一緒に走りたいから、せめてそれだけの力は付けよう!という気持ちが1番強かったです。
マラソンは自分との戦いと言いますが、だからこそ、沿道の声援然り、仲間然り、周りの人の力がかなり影響するスポーツなのではないかと感じています。
ちなみに、今回の記録は5時間31分。フルマラソンをもっと早く走れるようになりたい、と次の目標に燃えています。